自分の名前
子どもたちがバラバラに帰省するものだから、昨日を含めてこの夏3度も『父』の墓前に立った。そのつど思い浮かぶ『父』がいて、そのうちのひとつ。『長男が生まれたら「敬三」にしようと決めとった。ワシが子どもの頃から自分の名前にしたいほど好きじゃった』と言ってはにかんだ『父』。私には3人の姉がいて、そのとき中学生であったと思う。晩年の『父』はよく笑ったが、仕事一途の当時、表情を崩すことは珍しかったのでよく覚えている。
ところで、かなり前のことだが、至極本気で「悪魔」という名前が役所に申請され、ひとしきり物議をかもしたことがある。結局は取り下げられたが当然であろう。一方、ついこの間は、「素直」と称する人物が無差別に人の命を奪う事件を起こした。名前に込められた親の思い、それはその人物の原点であり、成長の礎石とするべきものでもある。日々生きていく力の源泉ともなる。したがって、自分の「名前」に肯定的であることを生活信条のひとつにしたい。